波のまにまに。〜すなみちな日々。

すなみち@楽に生きる方法を模索中。40代ワーキングマザー。日常の思考の波間からなるべく丁寧に言葉を拾って紡ぎたいなと日々言葉を紡いでいます。

ヒマを健全に楽しむ方法

9月23日(祝日)は退屈と正面から向き合う日だった。

 

この日はすごく暑かったのに、エアコンの効きがどうにも悪くて、午前中は何もやる気が起きなくて、わざわざ自転車で少し遠くのスーパーに行った以外はずっと寝ていた。

午後から子供たちを児童センターに行かせたらスッキリしたけど、だから何をするということもないので、ひたすら家の中をウロウロと彷徨っていた。

やることがなくて結局は漫画を読んだり、ゲームをしていた。

 

せっかくの1人時間なんだから何かやるべきなんだろうなと思っても、どうにもやる気が起きない。

それだったらもう仕方ないから、堂々とヒマを味わおうと思ってゴロゴロしていたら、やっと日が暮れてきてようやく一息ついた。

 

気づいたことがある。

自由=ヒマということに。

 

昔から「自由」という言葉に憧れていて、最近は割と子供たちも育ってきて、少しずつだけど自分の時間が増えた。

仕事もうまく調整しつつ、週1の休みとたまにこうやって祝日は休める。

今はコロナだから堂々と家に引きこもっていて、人づきあいもほぼない。

だけど、いや、だからヒマになってしまったのだ。

 

自由ということは、何にも縛られていなくて、しがらみがなくて、予定もない。だから自動的にヒマになる。

自由を楽しく味わいたいと思ったら、新たに発生するヒマという問題にもうまく付き合っていかないといけないのだと気が付いた。

 

ヒマをうまく消化する方法。

本やゲームやYouTubeもいいけれど、なんだか時間を無駄に消費している気持ちが後ろめたい。もっと前向きに楽しくヒマを消化する方法を見つけたい。

 

***

 

昨夜、子供たちをやっと寝かせてpixivを見てたら、すごく素敵な小説を見つけて、夢中で読み耽った。

 

多分設定はイタリアあたりなんだろう、日本とは違う異国情緒あふれる描写が生き生きとして、登場人物のあり方なんかもとにかく描写が巧みで、頭の中にその光景がありありと映し出され、読み終えてもその余韻がしばらく心の中に残っていた。

 

朝になってその小説のことを気持ちよく思い出し、この日も休みをもらっていたから、さっそくまた読み直そうかと思ったけど、晴れた日中からpixivばっかり見ているのもなんだか不健全だなと思ってやめた。

せめて堂々とpixivに浸れる夜になるまでは、前向きに健全にヒマをつぶそう。

 

だけどその小説を読んだ影響はまだ私の中で残っていて、なぜか心の中が優しく照らされ続けているような気がする。

イタリアみたいな、あの小説に描かれていたようなところにもいつか行って実際に味わってみたいなと思った。

不思議だ、誰か知らない人が描いた小説なのに、こんなに自分の心に影響を与えるなんて。