小学校の「先生」について思う
先日、息子が小学校へ入学してから初めての「保護者会」がありました。
ここで初めて、入学式の時に遠目で見る程度だったクラスの担任の顔がはっきり見え、声を聞き、大体どれくらいの年齢の人であるかを、やっと知ることができました。
小学校生活って、担任が重要だとつくづく思います。
子供が心身ともに伸び伸びと育っていく、大切な時期をお任せするのだから、やはり子供と合う先生に見てほしいなあと思います。
私の小学校時代、最悪だった教師のこと
私が5・6年の担任だった女教師は今でも根に持つくらい、嫌いな先生でした。
なぜかちょくちょく、生徒全員がゲンコツをくらっていました。しかも理不尽なことで。(悪いことをした犯人が名乗り出ないからとかそんな理由)
生徒全員起立させて、1人1人、ガツンと固めた拳で殴られる。
あの拳は本当に痛かったけど、約30名を殴った、あの教師の拳自身は痛くなかったんだろうか。
昭和の当時は、教師が暴力をふるうことは普通によくあったし、親からはむしろ「厳しくしてくれてありがたい」と、その先生は一定の評価があったそうです。
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ある時、生徒の何人かでクーデター?を起こしました。
放課後、教師の悪口を紙に書いて、机に入れ、私もそれに加わりました。すごい気分が高揚したし、楽しかった。
翌朝、机を開けて紙を発見した教師は、教室を出て行った。
他の子の話によると、うっすらと涙ぐんでいた?とか。
ザマーミロ!って感じだったけど、やがて教室に戻ってきた教師は、すぐに犯人探しを始めました。
「これを書いた人、立ちなさい」と言い、私たちを立たせて、私たちの机だけをぜんぶ隅っこに移動させました。
そして私たちを完全に無視して、授業を始めました。
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その状態は数日間続きました。
私たちは、完全に無視状態。
だけど私はだんだんその状態が精神的にキツくなってきて、教師に「ごめんなさい」と謝りに行きました。
そうしたら、私だけ、教室の隅っこから机が戻されました。
しかしやがて、そんな状況が保護者に伝わったらしい。
さすがに苦情が入ったのか、ある時急に全ての机が戻されました。
そして何もなかったかのようになりました。
あの時の子供だった私たちは、どうしてもその教師が嫌いで、憎くてやったんだと思う。今でもその憎しみは思い出せるくらいだから、子どもの頃に強烈に刻まれる感情ってすごいなと思う。
ネグレクトの子どもに目をかけた、やさしい先生のこと
反面、いい教師にも出会いました。
3年生の時の担任は、いつも旦那さんのエピソードや、のろけ話を楽しく話していて、「私は子供が好きなのに、子供ができないから、皆のことが自分の子どもみたいに可愛い!」と言い、とても人気のある先生でした。
空き時間には教室内を真っ暗にし、怪談話をしてくれたりして、それがとても楽しかったことを覚えています。
クラスに1人、親からのネグレクトを受けている男の子がいて、体は臭いし、おもらしをするし、頭にはシラミ...とひどい有様でした。
3年生にもなって、未だにオムツをはいており、先生はオムツを外すためにかなり奮闘されていたようです。
そんな中、その男の子が教室でおもらしをして、パンツ一丁で廊下に立たされている現場を見て、私は子ども心に「いい先生なのに、ひどいこともするんだなあ」と、その先生が少し嫌いになったこともありました。
大人になってからそのことを母に話すと「どの先生もあの子に関わろうとしなかったのに、あの先生は男の子のことをとても気にかけていた。廊下に立たせたのも、厳しい気持ちがつい出てしまったんだと思う」と。長年の誤解がやっとほどけた気がしました。
大人になってから理解できることもあるんだなあという気がします。
その先生は翌年違う小学校へ転任され、その後は会うことがありませんでした。
が、最後にノートに書いてもらった詩のことは、今でも少し記憶に残っています。
こんな詩でした。
「みっち、みっち。みっちゃんのクレヨンは色んな色なのね。
そのクレヨンはどんな色?
春の色かしら?花の色かしら?
みっち、みっち、みっちゃんの色...」
生徒一人一人を、よく見ていたんだなあと今でも感嘆します。
これから6年間、息子はどんな先生に出会うのでしょう。
どうか、息子を理解してくれる先生、相性の良い先生であったらと願うばかりです。