我が子をひきこもりにしないために
「ひきこもり」というワードがトレンド化しつつあります。
もちろん、いい意味ではなくて、悪い意味で。
簡単に転落してしまえる今の社会
最近起こった、「ひきこもり」がキーワードとなった2つの事件。
川崎の通り魔事件と、東京の元事務次官による息子を殺めてしまう事件です。
どちらも本当に、悲劇的な出来事です。
子どもを持つ親にとって、他人事ではないです。
今の日本は、一歩レールからはみ出せば、たちまち下に落下してしまって、「正しい」人生には戻りづらいような、そんな脅迫的な雰囲気を感じます。
今の日本には、簡単に転落してしまえる要素が多すぎます。
- 学校になじめず、不登校になってしまった。
- いじめにあって、人間関係で深く傷ついた。
- 受験に失敗して、望みの学校に行けなかった。
- 家庭環境や経済的な環境が悪く、借金をかかえてしまった。
- ゲームにはまって、外に出られなくなってしまった。
- 就職や転職に失敗して、無職になってしまった。
他人の不幸を見て「ああならないように」と、まるで綱渡りを渡るような人生を、親も子どもも、求められているように感じます。
子どもをひきこもりにしないために
しかし、社会に何かしらの生きづらさの要因があることはぼんやりと感じていても、社会を変えることは簡単ではないです。
長い人生において、全く挫折を経験しないということもありえません。
親は、せめて、自分の子どもがレールから大きく外れないように、せっせと子どもを叱咤激励し続けるしかないのです。
それでも子どもが下に落ちてしまったら。
社会に「居場所」を見つけられず、外に出なくなってしまったら。
親ができることは、社会の中の居場所を一緒に見つけることです。
子どもが学校に行けなくなったら、それ以外の場所を見つけ、社会とのつながりを絶たないこと。
人間は社会的な生き物なので、社会に居場所がないと、生きていけないです。自尊心が傷つけられ、抑圧された気持ちが家族への暴力になります。
親にとっても、家庭内の問題としてひた隠しにせず、外部に相談したりして、親自身が居場所を確保しておくこと。
そんな覚悟が必要なのだと思います。