波のまにまに。〜すなみちな日々。

すなみち@楽に生きる方法を模索中。40代ワーキングマザー。日常の思考の波間からなるべく丁寧に言葉を拾って紡ぎたいなと日々言葉を紡いでいます。

40代のオトモダチ事情

今、私に友達と呼べる人はほとんどいない。

だけど、まだ子供が小さいせいか、別に全く寂しさを感じない。

もともと社交的な性格じゃないし、人と会うと気疲れする方だ。

若い頃にはそれなりにいたはずの「友達」が、気づいたらほとんどいなくなっていた。

 

子供が共通事項のいわゆる「ママ友」は、道端で会うと雑談するレベル、またはたまーにグループで(もちろん子連れで)遊ぶレベル程度にはいるが(←でもこれも、何か気疲れするので正直もういいよねと思っている)、1対1で会ったりする「友達」がほとんどいない。

 

私は関西からの上京組なので、いわゆる「旧友」は、ほぼ関西にいる。

 

たまに関西に帰省することはあるが、最近は帰省してもわざわざ連絡を取らなくなってしまった。

 

何しろ、たまに会っても悲しいかな共通の話題がない。
ふだん会って情報を共有していない分、何が相手の地雷かが分からないから、つい当たり障りのない会話ばかりになってしまった。それに気づいた時、遠距離を経てお互い貴重な時間を割いているはずなのに、何だか悲しくなってしまって、それからあまり連絡を取れずにいる。

 

若い頃なら、多少の無神経さや薄情な行為も、その近い距離感から、自然と修復できたし、お互い許せたと思う。
でも今のこの距離感で、うっかり相手の気を悪くしてしまったりすると、きっと後を引くから、とても気を遣う。

 

そんなだと、もう「友人」と言えるレベルなのかも分からなくなる。

 

私はもうこれは、お互いの物理的な距離が離れてしまったので仕方ないと思うようにしている。

 

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***

 

昨日、独身の頃の友達と一緒に旅行をしている夢を見た。

 

2人とも海に来ていて、すごく自然な感じで、楽しかった。

 

目が覚めてからしばらく余韻に浸っていて、また久しぶりにその子に会いたいなあと思ったけど、会うとお互いの違いばかりが目についてしまう気がして、やめた。

 

お互いの夫や子供のこと。
家を建てたか賃貸暮らしか。
働いてるかそうでないか。

 

そういったことに無自覚だった若い頃には決して気持ちが戻れそうにないと思った。

もともと近い場所にいたはずので、その後できてしまった差ばかりに目がいってしまうのかもしれない。

 

普段からお互いの情報を共有していないせいかもしれない。

相手に会わなすぎて、まずは相手の近況情報から聞き出さないといけないから。

そうすると、自然と探るような質問ばかりの会話になってしまう。

そんなの疲れすぎる。

 

***

 

去年から、恒例の年賀状をやめた。

それは私の中では、「もう年イチの年賀状だけの付き合いはやめたい」という気持ちの現れだった。

 

子供の手が離れたら、お互いの違いばかり気になってしまう友達付き合いはせず、ナチュラルな気持ちで会える友達を作りたいなあ。

 

来年頃あたりから、新しい趣味を始めてみるのもいいかなあと考えている。