失敗は次のステップで生きる原動力にしよう
自分の人生を改めて振り返ってみたとき、失敗こそが次のステップでがんばれる原動力になっているなとつくづく思います。
たとえば私は小学生の頃、あまりに内気すぎて友達を作るのが苦手でした。自分から人に話しかけて友達を作るということができず、ずっと受け身で過ごしていました。
そのせいで友達に誤解されたり、一人ぼっちで過ごす時期もありました。
塾に通い始めた時も、結局最後まで友達をうまく作れませんでした。
「自分から話しかけることができたら良かった」...そのことが強い後悔としてずっと残っていて、中学に上がったら自分から周りの人に話しかけようと決めていました。そして実際に実行し、入学直後にすぐに席の前後の人に話しかけました。
そのおかげで中学時代はすぐに友達ができ、自分の中でも今でも一番楽しい時期として記憶に残っています。
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また高校の時、何も部活に入らなかったために、ぼんやりと過ごしてしまい、これと言った楽しい思い出を作ることができませんでした。
その後悔がやっぱりまた残っていて、大学に入ったら絶対に楽しい部活やサークルに所属して、青春を楽しもうと決めていました。
入学直後から本当にたくさんのサークルを見学しました。応援団、天文部、吹奏楽部、美術部、SF研究会...目につくものから片っ端にいろいろ体験や見学をし行きました。
結局、大学1年生の間は自分に合うサークルが見つかりませんでした。でも諦めずに2年生で自分の居場所はここだと思える部活動に出会うことができ、そこでの青春の思い出は本当に今でも大切なものとして心に残っています。
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何が言いたいかと言うと、「失敗を次に生かすことの大切さ」と、「失敗こそが次のステップでがんばれる原動力になる」ということです。
人ってなかなか怠け者な生き物で、現状にそこそこ満足した状態だと、あえてしんどい思いをしてまで動くということをしないようです。
でも「ああすれば良かった」という強い後悔があれば、またそうなりたくないという回避の思いが強く働いて、次で頑張れるエネルギーが自然と働くようです。
だから私の人生を振り返ってみると、良い時と悪い時が交互にジグザグとなっていて、なかなか波乱万丈だと思います(笑)
うまくいかなかったことを潔く認めることも大事みたいです。
潔く認めることで、次こそ頑張ろうという原動力に変えられるからです。
これを、人や環境のせいにしてずっと認められないと、受け身の状態で終わってしまうかもしれません。
人間は良い体験よりもうまくいかなかった体験の方が強く心に残るので、そう考えると失敗も決して悪いことばかりではないなとつくづく思いました。