波のまにまに。〜すなみちな日々。

すなみち@楽に生きる方法を模索中。40代ワーキングマザー。日常の思考の波間からなるべく丁寧に言葉を拾って紡ぎたいなと日々言葉を紡いでいます。

離婚について考える

離婚ってどうしていけないことなんだろう、と最近よく思います。

世間一般的には離婚はマイナスで、生涯1人の人と添い遂げた人は偉い、みたいな風潮ですよね?

 

少し前に、小島慶子さんのこんな記事を読みました。

news.yahoo.co.jp

 

彼女は現在オーストラリアと日本を行き来する生活を送っていて、旦那さんと子供はオーストラリアに住み、ご本人が経済的な大黒柱となって時々日本に出稼ぎに来ているそうです。

 

小島慶子さんいわく、昔妊娠中に夫に「人として許せないこと」をされ、それが何年経った今でも許せなく、現在「エア離婚」中なのだとか。

ちなみにエア離婚というのは、数年後の離婚を前提にした婚姻生活のことらしいです。

聞き慣れないワードを聞いた時、離婚をしない意味が分かりませんでした。子供ももうある程度大きいんだし、離婚したらいいのに。芸能人だったらそれなりの収入はあるのだろうし、若いうちの方が次の恋愛もきっと探しやすいし、と私は思ったのですが。

 

何やらよく分からないが、とにかくすんなり離婚しないぞ、という意思がエア離婚というワードに込められている気がしました。

 

少し前、「卒婚」というワードが少し流行ったようで、私の母も「もうお母さん、卒婚するね」とある日突然宣言してきました。

その背景には、夫と離婚まではできないが、婚姻状態から卒業し夫の世話を焼いたり夫に構うのはもうやめる、という気持ちがあるみたいでした。

 

つまりもう心の中では夫に対してもはや愛情も少ないし、距離をおきたいのだけど、離婚を選ぶと経済的にも苦しいし子供たちにも迷惑がかかるから...という配慮の末の選択みたいです。

 

確かに子供の立場からしても親が離婚するとなったらそれなりにヘビーだし、経済的な援助も大変そうです。でも母は卒婚を宣言したわりには結局何かの折にふれて夫(私たちからすると父親)に対してイライラを募らせ、爆発していました。

つまり全然卒婚できていないわけです。

 

小島慶子さんの件もそうですが、パートナーの過去の過ちを決して許さず、何年も下手したら何十年も怒り続ける虚しさ、恨みを持ち続けるエネルギーはそうとうな自分へのダメージではないでしょうか。

そのエネルギーは相手にぶつけているつもりで、結局自分に跳ね返ってくるのではないか。そんなふうにモヤモヤしていたら、案の定ヤフコメもそんなコメントで溢れかえっていました。

たぶんご本人はそんな気がなくても、端から見たらそう見えてしまうような痛々しさがあるのでしょう。

 

***

 

夫婦の複雑さについて、10年経って私にも少しずつ理解できるようになってきました。

 

私より先に結婚した友達の、夫婦間のぼやきや嘆きや愚痴が、今になってやっと理解できました。

婚姻当初は確かにあった愛情が、少しずつ擦り減っていく悲しさよ。

かつて尊敬していた人が、段々とその地位を失っていく切なさよ。

尊敬できる人を夫に持ち続けることができる人が本当に羨ましいです。

年月を経て夫婦のパワーバランスが変化すると、当初はうまくいっていたはずのことが段々とうまくいかなくなってくるみたいです。

 

そうなった時、夫婦はどこへ進んで行ったらいいのでしょうか。

お互いに一緒にいる意味を見出せなくなったのに、一緒にいても対峙することを避けてまで一緒にい続けるのは、ゆるやかに魂を殺していくような恐ろしさを感じます。

 

そもそも血が繋がった子供でさえ、べったりと何年も一緒にい続けるのは無理なのに、相手に関心が薄れてしまったら、自然と離れるのが自然の摂理じゃないのでしょうか。

 

でも、日本の離婚は社会的にとても重い意味を持つので、そう簡単にはしがたいことです。結婚は簡単なのに離婚は難しい、という経験者の言葉が重みを持って響きます。

 

もし離婚がハードル高くなく、別れた後もお互いに経済的に困窮することがないと分かっていたら、きっと多くの人たちが今のパートナーと別れることを選ぶはずです。

だって何年も何十年も、相手を恨み続けたり関心を持てなかったりするエネルギーって相当なダメージを自分にもたらすと思うから。

 

夫婦で一緒に居続ける意味は、人によって違うと思いますが、生物的な意味で言うと、つがいになって子供を産み、巣の中で安全に育て切るという過程を終えたあとは、一緒にいる意味はもはやかなり小さくなっているのではないでしょうか。

 

今は独身世帯も増えているというし、寂しくなった男女は夫婦や結婚というものとはまた別のコミュニティやコロニーを作っていく時代がいつか訪れるのではないでしょうか。

そしてその頃には、離婚というものが、今よりもっと罪悪感がなく、大っぴらで明るくて許されるものになっていたらなあ。

その頃の私にとってより自分の気の合う人たちとのコロニーを選ぶのでは、そんな気がしています。