波のまにまに。〜すなみちな日々。

すなみち@楽に生きる方法を模索中。40代ワーキングマザー。日常の思考の波間からなるべく丁寧に言葉を拾って紡ぎたいなと日々言葉を紡いでいます。

「『北欧、暮らしの道具店』」の心地いいすっきり暮らし」を読みました

先日、本屋でたくさんの本を買ったのですが、そのうちの一冊をご紹介します。

「北欧、暮らしの道具店」の心地いいすっきり暮らし

「北欧、暮らしの道具店」の心地いいすっきり暮らし

この本では、「北欧、暮らしの道具店」という通販サイトを運営するスタッフさんたちのインテリアと暮らしが紹介されています。 この手の「北欧雑貨が好きな人たちによる、北欧インテリア紹介本」は今時珍しくありません。 ではなぜ私がこの本に惹かれたかというと、紹介されたインテリアがどれも等身大で親しみやすく、収納のコツやモノ選びについて、正直に飾らず描かれていたから。つまり、“生活”や“人”がリアルに伝わる本だったから。

『北欧、暮らしの道具店』」の心地いいすっきり暮らし

中を開いてみると、いきなり古い賃貸暮らしから始まります。その背伸びしていない感じに好感が持てます。素敵な暮らしを実現するには、広さやモノが必要なのではなく、住まう人の価値基準や工夫なのだなあと感じさせられました。

生活を共にするモノたちは、きっちりと隠されているわけではなく、むしろ人と共に同居しているといったふう。それってリアルな暮らしですよね? どんなに素敵でスッキリと片付いたインテリアでも、そこに住まう人が暮らしづらいと意味がありません。北欧好きと言っても、“北欧おしゃれ小物”がやたらと散りばめられているわけでもなく、北欧ブランドチェアーが溢れているわけでもなく、ちゃんと住まう人たちの等身大な暮らしが伺えるのが良かったです。

以前この本を買った時にしみじみ感じたことがあります・・・。

「123人の家」は、大手インテリアショップACTUS(アクタス)に勤めるスタッフの住まいが紹介された本。 123人も掲載されているためか、ページをめくっても、何だか似た趣向のインテリアばかりが目について、そこに住まう人自身の個性を感じることができませんでした。結局2、3度ぺらぺらとめくっただけに終わりました。

『北欧、暮らしの道具店』」の心地いいすっきり暮らし

どんなに素敵なインテリアでも、所詮はただのインテリアなんですよね。結局は“住まう人自身”が見えないと、共感も親しみもなく、ただページを眺めるだけに終わってしまうんだなあと感じました。

「北欧、暮らしの道具店」の本の冒頭にもありますが、「インテリアやスッキリ暮らすことが目的ではなく、暮らしを楽しむことが目的なんです」という言葉どおり、「住居」ではなく「人」が軸なんだなあ、だからこんなに伝わってくるんだ。としみじみ考えさせられました。

「北欧、暮らしの道具店」の人材募集に惹かれた話

・北欧、暮らしの道具店 http://hokuohkurashi.com/

北欧好きにとっては有名らしいこちらの通販サイト。可愛らしい小物がたくさん紹介されていますね。 以前「箱庭のガッコウ」でお世話になった「箱庭」さんのサイトで、ちょうどこんな記事がアップされていたので、興味深く拝見しました。

残業しない働き方って?『北欧、暮らしの道具店』を運営するクラシコムさんの仕事に対する考え方が素敵すぎるお話。ただいま人材採用中!

一言で言うと「人材募集していまーす!」ということなのですが、こんなふうに他社のリアルな雰囲気まで伝わる記事って面白いですよね。 自分の好きなサイトを見ていると、たまにWEBデザイナーやWEBディレクターが募集されていて、一瞬心が揺れてしまう私。 正直、上記の記事を見た時も「いいな・・・応募してみたいな・・・」なんてリアルに考えてしまいました。(締め切りは明後日!)

私は今WEBデザイナーとして8年目ですが、一言でWEB業界と言っても扱う分野は広く、本当に自分が興味のある分野をやってみたい、という気持ちがいつも心の片隅にあります。 思い切って好きな分野に飛び出してみたい。そこで働く人たちと同じ空間を共有してみたい。刺激を得ながら視野を広げ、スキルアップを図りたい・・・。

でも、今はそれはできない。今の会社を辞めるということは、今の待遇を捨てるということ。保育園も家も近く馴染みも深い、この環境をやすやすとは捨てられない。

けれどいつか、もし縁があれば好きな分野のWEBデザイナーとして働ける日が来るのかな?・・・なんてちょっぴり未練に残しておいてもいいですよね? それまでは、自分自身のスキルや仕事人としての魅力を最大限まで上げておこう!と心に決めました。

持てば持つほど、捨てづらくなる

『北欧、暮らしの道具店』」の心地いいすっきり暮らし

先日、こちらの記事を見て心に思うことがありました。 ・社会から拒否されてホントーによかった(by Chikirinの日記)

多くの人は、「自分には新しいモノを手に入れる能力がないから、動くのに躊躇する」って言うけど、それは嘘だよね。そういう人は、「今、持っているものを手放すのが、ものすごく恐い」んです。だから動けない。

この一文が、心に突き刺さりました。一度得たものを手放すのって、いかに難しいことか。 思えば私が上京した8年前、私は何も持っていない状態でした。 務めていた会社は倒産し、捨てる物も何もなかった私。何もない状態だからこそ、ずっと住んでいた大阪を離れて東京に出るという冒険ができたのです。

何も持ってない状態って冷静に考えると崖っぷちなんだけど、あの頃の私は前を向くことしか考えてなかったです。中途半端に実家に居続けなくて良かった。26才という若さも良かった。

私自身はもともと、大胆でも勇気のある人でも進歩的な人でもありません。だから、なにか大事なモノが手に入ってしまったら、それを守るために多大なエネルギーを使ってたかも。

持っているものを手放すことってとても勇気がいるけれど、持っているものを手放なさざるを得ない状況だっていつかはあるはず。 そんな時、手放すことを前向きに捉えるか、“失う”ことにフォーカスして後ろ向きに捉えるか。 そこにその人の生き様が見える気がする。

そして私は、自分がいつか冒険に漕ぎ出すために、手放すことについて前向きでありたいなあと思いました。