ミニマリストについて考える
巷で話題の「ミニマリスト」という生き方。興味を持ったので、先日下記の本を購入しました。
最小限主義。
ぼくたちに、もうモノは必要ない。 - 断捨離からミニマリストへ -
で、読んであれこれ感じたこと。「ここまでは、私にはできないなー。」
何もそこまでせんでも!と感じたのは、著者(写真家)が自分が手がけた写真集と、古い友人と一緒に写った写真(1枚しか残っていない)まで捨ててしまったところ。
「そのモノを捨てたからといって、思い出やその物事自体が消えるわけではないーーー」とありました。それは確かにそうです。だけど自分自身の軸というか、拠り所まで処分してしまうのは、寂しすぎると思いました。
ミニマリストになるには、勇気と精神的な強さが必要!?
以前に「お片づけ祭り」を開催した時のこと。
もう読まないからと、ずっと取っておいた本たちを処分しました。 すっきりした本棚を眺めて、すうっとしたと同時に、自分を形づくっていた“何か”までも消えてしまったような気がして、非常に不安定で頼りない気分になり、いかに自分が普段周りを取り巻くモノたちに支えられていたのかを感じました。
「最小限主義。」ではその辺りの感情にも触れられています。
自分の殻をぶち破るように、モノ捨てには快感がある。 そして、「自分は何者でもなかった」と清々しい気持ちになれるのだ。
「自分は何者でもない」と思うには、なかなか精神的な強さが必要ですよね。誰もが「何かになりたい」と思っているこの時代。ミニマリストを追求するというのは、まるで出家して悟りを開くことに似ている。
あれ?ミニマリスト・ブームというのは、少し前に流行ったいわゆる“お坊さんブーム”に似てない?
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ところで、この写真は我が家で使用しているマグカップ。 右はマグカップとして定番のイッタラ<ティーマ>。左はどこのものだと思いますか?
実はこれ、フランフランです!
フランフランにはごちゃごちゃしたデザインの物が多いイメージがありますが、こんなにシンプルなマグカップもあるんですね。
これは何年か前に購入したものですが(一つ600円くらい)、今はもう売ってません。ペアで購入したのに片方は口のところが欠けてしまい、捨てました。だけどこのサイズ感がちょうど良く、とても使いやすくいので、多少欠けててもずっと使えば良かったなあ。と感じています。
代わりのマグカップをあれこれ探してみたものの、同じくらい気に入るものにはまだ出会っていません。
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思うんだけど、人によってミニマリズムの基準は違う。 それは何も、テレビを捨てて、ソファを捨てて、写真を捨てる生活を指すのではないはず。その人にとって「これが私にとってのミニマリズム!」と思えれば、それでいいんじゃない?
つまり軸は、その人自身。これが肝心で、流行の何かに乗っかっただけじゃ、ダメですよねー。
そんな結論に行き着きました。