波のまにまに。〜すなみちな日々。

すなみち@楽に生きる方法を模索中。40代ワーキングマザー。日常の思考の波間からなるべく丁寧に言葉を拾って紡ぎたいなと日々言葉を紡いでいます。

「#あたし、おかあさんだけど」の方が好き!と思う理由

先日記事にした「#あたしおかあさんだから」炎上問題。

先日、当の歌詞を作詞した絵本作家ののぶみさんが、「たくさんの人をいやな気持ちにさせた」と謝罪。配信元であるHuluも動画を削除したそうです。

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私は完全なる「#あたしおかあさんだけど」派。

母だけど、自分の時間が欲しい。 それでも、やっぱりできないこともある。 どこまでできて、どこからできないか。その線引きをいつも模索している感じ。

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私の母はずっと専業主婦でした。 小学生の私が家に帰ると机の上にオヤツがあり、母が家にいてくれる。 恵まれた状況だったと思うのですが、なぜか私はいつも「お母さんって、かわいそう。出かけることもしないし、遊びたいって思わないのかな?」 と思っていました。

それが高学年になり、だんだん自立を求める年齢になると、母親という存在が実にウザくなってきてしまいました。 とにかく、いつも近くにいるのがシンドイ。 「お母さん、あっち行っててよ!」と思ってたし、実際に言ったこともあると思う。 私に拒否された母は、今度は3つ離れた弟にべったりするようになり、そんな状況が余計に私を苛立たせました。

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今思うと、思春期を迎えつつあった私が求めていたのは、母親ではなく同じ女性として対等に話してくれる人。

だから、育児のために仕事を辞めてしまった(当時は育児と仕事を両立できるような環境もなかったそうです)元服飾デザイナーの母をとても残念に思っていたし、20才を過ぎても注がれ続ける「母目線」にウンザリしていました。

それもあって私はしんどくても兼業主婦を続け、自分の時間を極力確保し、趣味もし、夢も持っています。 「あたしおかあさんだから」、それをやめることなんてしない。 それが今の母親のあり方なのかな。

例の歌詞が発表された後、「#あたし、おかあさんだけど」タグがネット上にあふれたのは、きっと同じ価値観の母親が多かったから。

まだ私は母親5年生。これからも模索し続けます。