「#あたし、おかあさんだけど」の方が好き!と思う理由
先日記事にした「#あたしおかあさんだから」炎上問題。
先日、当の歌詞を作詞した絵本作家ののぶみさんが、「たくさんの人をいやな気持ちにさせた」と謝罪。配信元であるHuluも動画を削除したそうです。
私は完全なる「#あたしおかあさんだけど」派。
母だけど、自分の時間が欲しい。 それでも、やっぱりできないこともある。 どこまでできて、どこからできないか。その線引きをいつも模索している感じ。
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私の母はずっと専業主婦でした。 小学生の私が家に帰ると机の上にオヤツがあり、母が家にいてくれる。 恵まれた状況だったと思うのですが、なぜか私はいつも「お母さんって、かわいそう。出かけることもしないし、遊びたいって思わないのかな?」 と思っていました。
それが高学年になり、だんだん自立を求める年齢になると、母親という存在が実にウザくなってきてしまいました。 とにかく、いつも近くにいるのがシンドイ。 「お母さん、あっち行っててよ!」と思ってたし、実際に言ったこともあると思う。 私に拒否された母は、今度は3つ離れた弟にべったりするようになり、そんな状況が余計に私を苛立たせました。
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今思うと、思春期を迎えつつあった私が求めていたのは、母親ではなく同じ女性として対等に話してくれる人。
だから、育児のために仕事を辞めてしまった(当時は育児と仕事を両立できるような環境もなかったそうです)元服飾デザイナーの母をとても残念に思っていたし、20才を過ぎても注がれ続ける「母目線」にウンザリしていました。
それもあって私はしんどくても兼業主婦を続け、自分の時間を極力確保し、趣味もし、夢も持っています。 「あたしおかあさんだから」、それをやめることなんてしない。 それが今の母親のあり方なのかな。
例の歌詞が発表された後、「#あたし、おかあさんだけど」タグがネット上にあふれたのは、きっと同じ価値観の母親が多かったから。
まだ私は母親5年生。これからも模索し続けます。