波のまにまに。〜すなみちな日々。

すなみち@楽に生きる方法を模索中。40代ワーキングマザー。日常の思考の波間からなるべく丁寧に言葉を拾って紡ぎたいなと日々言葉を紡いでいます。

子どものために、大人が変わる

今日、小野田寛郎(おのだ ひろお)さんのニュースをテレビで見ました。

小野田さんは、帰国後はブラジルへ移住して牧場を経営していたそうですが、あることをきっかけに、「小野田自然塾」を開き、青少年を相手に自然教室のようなものを開いていたそうです。

その教室を開くきっかけになったというのが、昭和55年に日本で起こった、子どもが親を殺した「金属バット事件」という事件。

小野田さんはその報道をブラジルで耳にし、「何かが子どもに起こっている」と、非常にショックを感じられたそうです。

昭和55年と言えば、私が産まれた年。 その当時は相当ショッキングな事件であったはずですが、今でも子どもが親を殺してしまったり、その逆や、また心中や虐待死などの報道をしょっちゅう耳にするこの日常で、いつしか「またか」と感じてしまうようになった自分がいます。

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小野田さんはテレビの映像で、「子どもに自主性がないのは、目的がないから」と仰っていました。

それを聞いて、「なるほど」と思いました。

が、目的がないのは、大人も同じである気がしました。

子どもがおかしいのは、明らかに大人もおかしいからだと思います。 大人が生きることを楽しめていないのに、子どもが楽しめるはずがない。 自分たちがとっくに楽しんでいないことに、大人自身が気づいているはずなのに、そのことに本当に向き合って、何とかしようとしている人が少ないような気がします。

これまでの生き方や価値観では、矛盾が生じる世の中になっているのに、これまでのやり方を変えようとしない大人たちは、思考停止状態になってしまっている気がします。

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実は私もその一人です。

日々の忙しさにごまかされて、自分の本質や、人生や、これからのことを本当にちゃんと見ているかと言われると、見ていません。

とりあえず働いて、お金を稼いで、貯金していれば大丈夫。

とりあえず結婚して、子どもを産んで、がんばっていれば大丈夫。

そう、この「とりあえず」とか「がんばっているから」というところで、思考が停止してしまっていて、辛いことがあっても、しんどくても、理不尽を感じていても、時々虚しくても、それは私が悪いから、私がワガママだから、と思い込んでしまっています。

だから、表面上では幸せそうに見えても、本質的には幸せを感じれていないーーー。

が、幸せでない大人が、子どもを幸せにできるはずがないですよね。

そのことに気づいて、私が一度立ち止まって、できること。変わるべきところ。

それを、このブログ内でも少しずつ考えていきたいと思います。