私が「捨てられない」理由
さて、今年は「断捨離」するぞ!と宣言してしまったので、 ずっとそう言いつつなかなか実行できない理由って何だろう?と思い、分析してみました。
まだ物として機能する物を捨てることへの抵抗感
いわゆる「もったいない病」ーーーまだ使えるのに!ってやつですねぇ。少し前に、ほとんど使っていない食器を処分した時は苦しかったです(^^;) 食器としてはまだいくらでも使えるのに、「使われない」というだけで捨てられていく物の運命・・・。何だか自分がとても勝手でひどい人間みたいな気がしました。
もちろん、「断捨離」のやましたひでこさんは、「物は使われてこそ価値がある、使われないものは処分してあげる方がむしろ幸せ」とおっしゃっているんですが。 ちょっとその気を出して使えばまだまだ現役の物を捨てる、ということに抵抗があります。 一応リサイクルショップに電話して引き取ってもらえるか聞いてみたんですが、「新品ならまだしも、中古品は・・・」というお返事。そりゃそうですよね。 私の「何となく使いたくない気持ち」のために、処分されていく物たち。 この罪悪感が、私を「断捨離」から遠ざけてしまう・・・。
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本当は、「断捨離」の断=“入ってくるものを断つ”がもっと徹底できれば、このような思いをしなくても済むのかもしれない。 けれど、日本という社会、不要な物がどんどん家の中に入ってくるようにできている。 何かを買うと勝手に付いてくるノベルティなんかもそう。 安っぽくて、持っていても別に嬉しくないもの。使われずに生産だけされて、捨てられていく運命。ほんとに皆、これを欲しいと思ってるの? 今ここで、これをゴミ箱に放り込むのは簡単だけど、それでいいのかなあ?
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あと子どもができてから、「要らないって思っていたけど、実はそうでもないのかな」と感じるようにもなったり。 どう考えても要らないノベルティが子どものおもちゃになったりします。 子どもって、親が高価で上質な積み木を買い与えても、それを気に入るとは限らない。ちゃちなおもちゃを妙に気に入ったりして・・・。 そんな様子を見ていると、一見不要な物に見えても、子どもにとっては不要じゃないこともあるんだなー(ま、飽きるのも早いんだけど!)なんて思ってしまって、つい「とっておこーっと」となることも。
そういったことが私の「断捨離」行を妨げたりするんだけど、あまり神経質になりすぎると、かえって息苦しさが勝って、逆効果にもなりかねないですよね。
「断捨離」は、自分を快適にする手段であって、目的じゃない!
そう心に念じて、少しずつ取り組んでいけたらいいな。