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元ALSで安楽死した女性の報道が世間で話題になっているが、衝撃だった。
世の中には、生きるのが辛くて死を選びたいけれど、死ぬことすらも自由にできない人たちがいることがショックだった。
いくつかの報道で紹介された写真やツイッターを見る限り、生前はとてもアクティブで聡明な方だったのだろうなと思う。
それゆえ、体の自由が奪われ、ただ息をし続けるだけの毎日が、どれほど辛かっただろうかと健康な私でさえ思う。
「生きる」の定義は人それぞれなので、たとえ植物状態でも、生きていると考える人もいるだろうし、彼女のように動くことも食べることもできない状態では、決して「生きている」と思うことができない人もいるかもしれない。
とにかく、報道の内容と、それについたたくさんのヤフコメなんかを見ていると、何だか無性に切なくなり、ぽろぽろと涙をこぼしてしまった。
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この長寿化社会で、誰もが「きれいな死(=誰もが理想と考える「誰にも迷惑をかけずに、頭も正常なまま、眠るように静かに亡くなる」)を迎えることはもはや難しく、誰にとっても自分ごとであるように思う。
たまに老老介護の末、相手を殺してしまう報道なんかも見かけるが、それも非常に切なく、苦しい。
そろそろ日本も、「死に方」という問題に向き合い、たくさん議論をし、何か一定の答えを出してもいい段階に来ているんじゃないだろうか。
最近は以前より「死」について前向きに考える機会も増えているように感じるけど、「尊厳死」「安楽死」については、未だに議論することさえも難しいのだろうか?
※「尊厳死」=死に瀕した際、胃瘻や人工呼吸といった積極的な治療をせず、自然な死を迎えること
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この報道に関しては、色々賛否が分かれているようだけれど、私はこの女性の決定を尊重したいと今のところは思っています。