人生相談から見える人生との向き合い方
先日こういった記事を書きました。
で、後日図書館で「もっとほがらか人生相談」というのを借りてきたわけです。
ほとんど私が既にネット上で読んだものばかりだったけど、中には初めて読むものもあって、やはり面白くて、あっという間に読み終えてしまいました。
で、印象に残ったのが後書きです。
鴻上さんはこう書いています。
「本には載せていないけれど、親子問題を扱った後には似たような親子問題の相談が増えます。それに答えることはないけれど、自分で相談事を文章化することに意味はあると思っています」と。
つまり、相談者が自分の抱えている"モヤモヤ"について、まずは問題ごとだと自分で認識して、読みやすい文章に起こし、送る。そのアクションこそが、"モヤモヤ"に何らかの決着をつけるための一連の始まりなのだと思います。
最初は小さな違和感やモヤモヤごとだったりすると思うのです。それがだんだん「あれ?」となり始め、少しずつ見逃せなくなってくる。
それを思い違いとして見ないフリをしてスルーした人生を送るのか、それとも向き合って何とか解決しようとするのか、それがある意味その人の人生の分岐点だと思うのです。
「あれ?」と違和感を感じた自分の本心を、無視せずきちんと取り扱ってあげること。時にはものすごく深刻で難しい何かにぶち当たったとしても、今の時代ならきっとある程度は解決することができるでしょう。(きっと昔の時代なら、そのまま自分を押し殺して我慢して終わらせていたことも多かったと思います)
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鴻上さんは、後書きで「自分で考えることの大切さ」と書いています。
人から教えてもらった内容はすぐに忘れてしまい自分自身に定着しないが、自分で導き出した答えこそが真の回答だ、と。
ほがらか人生相談は、答えを教えてもらったから解決なんて平和なものではなく、相談者自身、それを読んで共感した読者全てが、自身に向き合い今後も生きていこうという始まりの扉なのだと思います。
そう考えると、人生相談とは、何と深い、尊いものでしょう。
鴻上尚史さんと、全ての相談者の方々に敬意を評します。