波のまにまに。〜すなみちな日々。

すなみち@楽に生きる方法を模索中。40代ワーキングマザー。日常の思考の波間からなるべく丁寧に言葉を拾って紡ぎたいなと日々言葉を紡いでいます。

習い事。それは可能性を楽しむこと!

それでは、「子どもの才能を伸ばせず終わった」習い事は、意味がなかったのでしょうか? 習い事に使ったお金や時間は、ただ消えてしまったのでしょうか?

私は、そうは決して思いません!

習い事を始めた頃に共通する感情とは?

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・ピアノを習って最初は楽しんでいたのに、だんだん練習をしなくなってやめた。 ・サッカー教室に通ったけれど、周りについていけずやめた。 ・英語教室に通ったけれど、お金がかかるわりに上達しなくてやめた。 ...

やめた理由は何であれ、習い事を始める時って、子どもより親がワクワクしますよね。

「大人になってもピアノが弾けたら素敵だな。」 「将来はサッカー選手になれるかな」 「英語を勉強して、将来は世界に羽ばたいてほしい!」

...まだヨチヨチ歩きの頃から「この子天才かも!?」なんて有頂天になった経験、誰しもあるかも?

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ある程度年を取ってくると、かなしいかな、だんだん人は夢をみなくなります。

それは、大人になるにつれて、現実を知っていくことや、選択肢の幅がどんどん狭くなってくるから。

でも、未来がまっさらな子どもって、すごくすごく未来が輝いて見える。

大人が見ると、特にそう思う。

この子は、将来何になるかな?何になれるかな?

科学者?サッカー選手?それともノーベル賞

なんて...完全に親バカですが、そんなふうに思うのです。(笑)

・・・

結論。

習い事って、そんなキラキラした可能性を、親が子どもに見出して、一緒にワクワクすることなんだなあっと思います。

だから、たとえ習い事が長続きしなくても、才能が開花しなかったとしても、それはそれで、親子が一緒にひとつの体験をしたということ、なんですよね。

「楽しかったね。がんばったよね!」

と、満足した気持ちで終われたらいいなあ、と思います。