岩井俊二監督「花とアリス」を見た感想
huluにて岩井俊二監督の「花とアリス」を観賞しました。 映画などの感想を書くのは苦手なんですが、これを見たのはもう3回目だし、区切りをつけるという意味で書いてみることにしました。
花とアリスは、大島弓子的ファンタジー
まず、これを書くにあたって、この映画についてのレビューをいくつか読んでみました。(自分の理解を深めるため)
批判的な意見の中に、リアリティのなさを挙げるものがいくつかありましたが、私はそれらに反論を唱えたいです。
記憶喪失をあんなに簡単に信じるなんてありえないし、信じたとしても普通友達か誰かに聞いてすぐに嘘ということに気づくはずだ、ということですが…
そもそもこの映画はファンタジーであって、ストーリーのリアリティ性は必要としていないと思うのです。
漫画で言うと大島弓子作品な感覚というのかな。
彼女の漫画は時に型破りで破天荒な展開を見せますが、作品としては充分に成り立っています。 そこは突っ込むべきでないというか、ストーリーのリアルさは、作品にとって、特に重要な要素じゃないわけです。
この映画の場合、ストーリーのファンタジーさが許されています。「花とアリス」という映画全体を包む空気が、あくまでもユルく、シリアスではないから。
これが、同監督の映画「リリィ・シュシュのすべて」ならこうはいかなかったでしょう。
あの映画は「いじめ」「暴力」という子どものリアルな現実をテーマにしているからこそ、ストーリー展開にもそれなりのリアルさが求められていました。
リリィ・シュシュは姿を見せない虚構のアーティストで、それを崇めるファンたちの集う場所がネット掲示板という非リアルな舞台装置だったからこそ、現実のリアルを強調しないといけなかったんだと思います。
けれど「花とアリス」は、そうではありません。
元々がショートフィルム作品だったせいもあるでしょうが、全体的にイメージの断片が継ぎ合わさった映画のように感じました。
美しいシーンを切り取った写真をたくさん並べて作ったような感じのシーンが多くありました。
途中、バレエ友達の写真展のエピソードが出てきますが、少女たちの瞬間を切り取って、写真に閉じ込めてしまう。この映画全体を表現するような、象徴的なエピソードだと思いました。
リアルな繊細で細やかな感情表現
ただ、花とアリスの感情表現はとても細やかで、リアルです。それはアリスのシーンに多く表現されているように感じました。
たとえば、離婚した父親と会うシーン。最初はどこか距離がある父娘ですが、ところてんや中国人が落とした携帯を拾うエピソードを通して、アリスが父親との距離を詰めていく様子が伺えます。
最後の別れのシーンでの、 「こんどいつ会える?」「また電話するよ」「こんどいつ会える?」 のシーンはアリスの確約が欲しいという切ない気持ちが伝わってきます。
「メールいつ覚えたの?」「いやらしー」 のシーンも、父親がいつかは新しい女の人を見つけて、母のように自分から離れて行ってしまうのではないか、というアリスの揺れる不安が伝わってきました。
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また、先輩とデートする時の、「ここ覚えてる?」のセリフ。
最初は“元カノ”としての演技かと思いきや、実は彼女が昔の記憶を辿って、懐かしい思い出を懸命に再現しようとしているというのが、段々と見る側には分かってきます。 だからこそ、ハートのエースのシーンが効いてくるのですね。
昔に失くしたハートのエースを見つけて泣いたのは、自分の記憶の中だけでなく、確かにかつては存在したこととしての証拠を見つけたからでしょうか。
父親も母親も、既に忘れてしまった思い出です。なぜなら彼らはもう前を向いて進んでしまっているから。 彼女だけが、取り残されたまま、どこにも所在がないままなんですね。
最後のオーディションは、アリスが初めて自分の力で、居場所を見つける一歩となるシーンです。
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花の場合、当初はあまり細やかな感情設定というのはありません。
映画設定では“自由奔放なアリスが花を振り回す”とありますが、どちらかというと花がアリスを振り回しているように見えます。
けれど、最後の方に出てくる、花がかつては不登校で引きこもりだった、という設定。
花が感情をむき出しにして自由にわがままを言えるのは、おそらくアリス相手の時のみなのでしょう。
何を言ってもしても、許してくれる存在。 花はアリスに安心して甘え切っていたのでしょう。 それは、疑似恋愛みたいな関係。彼氏代わりとも言える存在。
そんな花が、初めて自分の感情と向き合い、現実を受け入れるシーン。
それが、クライマックスの一つである、先輩を騙していたと泣きながら告白する場面です。
痛みをこらえるような泣き顔のアップが続きます。
そのリアルな泣き顔から、花が懸命に自分の殻を破っている様子が伝わります。
無垢な少女と大人の女。シーンの対比の秀逸さ
また、この映画はしばしば同時に起こっている2つのシーンを細かく切って交互に挟み込むことで、映し出されるものの対比を図っています。
花が嘘を告白するシーンには、落語研究会の先輩の滑稽で過剰な演技を挟むことで、花の告白の痛々しさや作為がない様を際立たせています。
また、最後のアリスのバレエの場面では、雑誌編集者である広末涼子が出てきます。
少女らしい無垢さの体現であるアリスと、大人の女である広末との対比。
アリスが無心に懸命に踊る合間に、広末は仕事を放って彼氏と電話でイチャイチャと話し込む。 戻ってきた広末には、その場の雰囲気が華やいでいる理由が分からず、ただおっさんたちがパンチラ見てラッキー!と沸き立っている。そんなふうにしか写りません。
かつて清純派女優だった広末をこの役柄にすえるあたり、もう…笑
清純で不器用な少女と、大人になって器用になってしまった女の姿がうまく対比されていました。
しかし今は蒼井優も既に大人の女性。 男を手玉に取る魔性の女優、なんて言われているのは皮肉だよなあ。
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私は岩井俊二監督の映画はいくつか見ましたが、この「花とアリス」が一番好きです。
詩的で、写真的でもあるファンタジーで、何度見ても安心するから。
蒼井優は今みたいに、誰もが知る有名女優ではなかった頃ですね。
この映画で最初に映ったとき、何だかもっさりと太っていて、一瞬「誰?」と思ってしまいました。
それくらい今の彼女は痩せて垢抜けてしまってますが、「花とアリス」は高校生の女の子という役柄なので、かえってそのモッサリ&太め具合が、リアルで良かったです。
高校時代って、なんか皆太ってましたよね〜。
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方向性が似ているか分からないんですが、「パーマネント野ばら」という西原理恵子原作、吉田大八監督の映画も好きです。
花とアリスの2人が大人になったような、そんな女の子たちが出てきます。
huluで見れないかと思ったけど、残念ながら、なかった。
この映画が好きな方は、「パーマネント野ばら」も見てみてはいかがでしょうか。