人生あと何年働くべきかを考えた
私の友人に小学校教師をやっている人がいます。その人が先日Facebookに教員免許更新のための勉強をしているという投稿をしていました。
私と同じ40才になるのに、いまだに勉強をし続けることのできるバイタリティのすごさと、果たして私は今後あと何年働くことができるだろうという漠然とした不安を感じました。
言うまでもなく、教師は十分歳をとっても続けていける仕事です。
教師はブラックだとは言われますが、公務員なので収入も上がっていくでしょうし、ボーナスや退職金もしっかり出るはずです。
社会的地位も高いし、見合ったやりがいもあるはずです。
対して私がやっているweb制作という仕事を考えてみると、正直60才までこの仕事を続けていくことができるか、不安しかありません。
そもそもweb業界自体が新しく、模範となるような先輩方もまだ若いので見通しも利きません。
20年後の60才と言っても、おそらく今の60才よりもずっと若く、当たり前のようにパソコンやスマホやインターネットサービスを使いこなしているのだろうとは思いますが、果たして制作の現場で通用するのかどうか...。
私が属しているような零細web制作会社なんて、いずれは淘汰される運命にあるような気がしています。
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そんなタイミングで、こんな記事を読みました。
要するに今後はホワイトカラーという職種はITやAI化されていき少しずつ絶滅していくでしょう。決められたことに則って単純にそれをこなしていくような仕事は淘汰され、代わって今後は「深い思考のできる人」が重宝されていくだろうという記事です。
確かに深い思考や検証や創造的なことはロボットでもなかなか難しい分野でしょう。
私がやっているような単純な作業的web制作はどんどん若くてスキルも未熟な人にとって変わられ、歳を取るにつれて自分の仕事をもっと深い思考や検証、提案などコンサルティング的な仕事にシフトしていかないと、とてもじゃないけどあと20年ももたないだろうと思います。
それに、単純作業でつまらない仕事はだんだんと人を疲弊させます。
思考を奪い、時間を奪い、月日が経っても本当にそれしかできない人に仕立ててしまいます。
人は考えるからこそ成長するし、冒険できるし、変われるのだと思います。
だから、私の仕事の取り組み方も、少しずつ考えていく仕事に変わっていかないといけないなとやっと気づくことができました。
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仕事をすることは尊いです。
どんな仕事でも、社会と触れ合い、社会に貢献でき、自分を高めることができます。
だからこそ、あと20年(もっとそれ以上...?)、疲弊しないで付き合っていく必要がありそうです。
どうかゆるやかにでも、私が変わっていけますように。